察するとは自分の身を守るためでなく相手を思いやるための意識
こんにちは。心理カウンセラー、クリスタルボウル奏者の大内です。
高田馬場駅前サロンを運営、14年目となります。
心理カウンセラーとして生活、経営者としても活動しています。
こちらのブログは、心理学関連の記事が中心となっていて他に、クリスタルボウルという楽器の記事中心のブログ(高田馬場駅前サロン)との2本立てで、
クリスタルボウルと心理カウンセリングのアールフォレスト
クリスタルボウルと心理カウンセリングのアールフォレストです。14年目になりJR高田馬場駅前にサロンがあります。心理カウンセリング、クリスタルボウル講座と演奏、ヒーリングを得意としております 。
生活、人生に役立つ、有益な記事となるよう毎日、記事を更新中です。
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ブログ1本
緑茶のむなるほど緑茶の効果
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察するとは、空気をよむとの対比で理解する
察するとは?空気をよむとは?
今日は察する、についてです。
空気を読むは、まわりの状況や状態をみて、それに発言や行動をならって合わせるようなものですね。
空気をよむと、察するを行動別に解説すると
空気をよむは、受動的な行為
空気をよむは同調意識、つまり相手に合わせることで周りのペースを乱さないというような、受動的な行為です
察するは、能動的な行為
察するは相手がなにをしたいのかを先読みして、相手がしたいと思い考える前にこちら側が行動して相手に与える行為です
ここで生まれる行動の違いは。能動的に未来を予測する行動があるかないかということ。
察するとは脳を動かす行為

人は察することをしなくなると頭を使わなくなる
人は常に察することで、頭をめまぐるしいくらいに動かすことになります。慣れていない人がすると疲れるかもしれません。
頭を使わないとどういうことが起きるのかというと、脳が使われない、退化していくということまで意味しています。
宝のもちぐされというか、人として産まれて皆が等しくものすごい力を持っているのに使わないのはもったいないということなのです。
もし自分が普通だと思っていたり、自分にはこれしかできないと思う人がいたら、あまり脳を使っていないのかもしれません。
察するとは、具体的な行動と考えられる結果を考えてみる

察することで人間関係においてより良好な関係を築くことができる
空気をよんで相手に合わせても自分の個性は消えるだけ、自分がしたいことは何か自分とはなんなのか分からなくなりますのでやめたほうがよいです。
察するとは、脳をフルに使ってする未来予測の行動です
つまり相手がしたいことを先回りしてやっておいてあげることに近いです
察するをしないとは、単にいま目の前に与えられていることをしているだけの状態です。
つまり人間でなくても機械がやってもそう変わらないもの、というか機械がやったほうが早い仕事などの内容になります。
AI(人工知能)で人の仕事がなくなるともいわれていますが、AIに仕事を奪われるというより、人間が脳を使わなくなると過去の作業の流れからやることを予測して機械にやってもらったほうが楽で早いということです。
対人関係においてやってほしいものを言われるまで黙ってすごすのではなく、常に能動的に何が「与えられるか」をいつもワクワクしながら脳をフルに動かして過ごすというのが察することをしている人の産物です。
私たちは機械から与えられるよりは、家族とか友達とか近い人から、その人が喜ぶだろうと察して与えられていたほうが嬉しいと思う心を持っているのです。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。